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昨日の続きです。
北海道 網走と言えば、「網走監獄」
・・・という認識でいました、私は。
ですので、一度は行ってみたかったんですよ。
ネット上でも調べられるので、興味のある方はぜひ見ていただきたいのですが、
歴史的にも逸話的にも面白い(と書いては誤解を生むかもしれませんが)です。
かつては日本で一番脱獄が困難な刑務所だったそうで、明治と昭和の二人の脱獄王が収監されました。
設立当初は凶悪犯や政治犯が収監されて、刑務所というよりは強制収容所の色が濃かったようです。北海道の国道や道道の建設に関わっていたようで、開拓の担い手として連れて来られた部分も大きくあるように感じました。手枷や足枷のまま白骨化した人骨が道路沿いの畑から出土したり、荼毘にふされずに埋められた「赤い囚徒」が大勢いたそうです。ただせさえ厳しい労働条件な上、枷がついているのだから無理もないかと。
博物館では実際に枷の重さを体験してきましたが、「働けね~よ!」という重さで、「脱走されたくないのか、働かせたいのか、どっちかにしてください!!」と訴えたくなる重さでした。私なら体育館1周も嫌です。。。
また、自給自足を目指し、強制労働がなくなった代わりに農場の開墾と営農が行われるようになったそうで、この農場から第二次世界大戦後の食糧難の時代にも、大量の米が生産・供出されたことを知りました。
また、味噌や醤油も造っていて、その工程の手加減で味が微妙に変わることから、長く収監されている囚人が作業工程の指示・監督というような役割をしていたようです。
麦なども作っていたり、農夫、工夫として、お務めを終えた頃には網走の囚人達は、実はとっても「使える人」だったのではないかと、そんなことを思ってしまったのです。
実際は「地元へ帰る路銀がない」という理由から、北海道でその後も暮らした元囚徒が多かったようです。
「網走監獄」という名前から、もっと寒々しい見学地を想像していましたが、古くから有名だったことや映画などでも名が知れた場所だったためか、博物館は大変見やすく、また工夫されていて学びやすい場所でした。
「当時の臭い」などは移設のため感じにくいですが、今年オープンした資料館などは先述の枷の他にも囚人服や笠が着用できるし、シアターもあります。また実際に独房などにも入れるので、「凹んだ」気分が味わえました。(イヤ、独房に入れられたら、本当に凹んだと思います。根暗になりそう。。。)
また、「見学終了!」と道順にそっていくと最後にジェラードのお店があり、それが美味しいのです。(私はオホーツクの塩味を食べました。)
行ってみて良かったです。
北海道 網走と言えば、「網走監獄」
・・・という認識でいました、私は。
ですので、一度は行ってみたかったんですよ。
ネット上でも調べられるので、興味のある方はぜひ見ていただきたいのですが、
歴史的にも逸話的にも面白い(と書いては誤解を生むかもしれませんが)です。
かつては日本で一番脱獄が困難な刑務所だったそうで、明治と昭和の二人の脱獄王が収監されました。
設立当初は凶悪犯や政治犯が収監されて、刑務所というよりは強制収容所の色が濃かったようです。北海道の国道や道道の建設に関わっていたようで、開拓の担い手として連れて来られた部分も大きくあるように感じました。手枷や足枷のまま白骨化した人骨が道路沿いの畑から出土したり、荼毘にふされずに埋められた「赤い囚徒」が大勢いたそうです。ただせさえ厳しい労働条件な上、枷がついているのだから無理もないかと。
博物館では実際に枷の重さを体験してきましたが、「働けね~よ!」という重さで、「脱走されたくないのか、働かせたいのか、どっちかにしてください!!」と訴えたくなる重さでした。私なら体育館1周も嫌です。。。
また、自給自足を目指し、強制労働がなくなった代わりに農場の開墾と営農が行われるようになったそうで、この農場から第二次世界大戦後の食糧難の時代にも、大量の米が生産・供出されたことを知りました。
また、味噌や醤油も造っていて、その工程の手加減で味が微妙に変わることから、長く収監されている囚人が作業工程の指示・監督というような役割をしていたようです。
麦なども作っていたり、農夫、工夫として、お務めを終えた頃には網走の囚人達は、実はとっても「使える人」だったのではないかと、そんなことを思ってしまったのです。
実際は「地元へ帰る路銀がない」という理由から、北海道でその後も暮らした元囚徒が多かったようです。
「網走監獄」という名前から、もっと寒々しい見学地を想像していましたが、古くから有名だったことや映画などでも名が知れた場所だったためか、博物館は大変見やすく、また工夫されていて学びやすい場所でした。
「当時の臭い」などは移設のため感じにくいですが、今年オープンした資料館などは先述の枷の他にも囚人服や笠が着用できるし、シアターもあります。また実際に独房などにも入れるので、「凹んだ」気分が味わえました。(イヤ、独房に入れられたら、本当に凹んだと思います。根暗になりそう。。。)
また、「見学終了!」と道順にそっていくと最後にジェラードのお店があり、それが美味しいのです。(私はオホーツクの塩味を食べました。)
行ってみて良かったです。
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先週末に、道東の網走へ1泊2日の小旅行をしてきました。
道中の道の駅は全て(少なくとも5つに)立ち寄ってきたという、無計画さで。
しかも、最初の購入物は ホタテのミミの燻製・・・渋;(というか呑む気満々
今回は私の我儘で、オホーツク文化に関係のありそうな遺跡や博物館を訪ねてきました。
オホーツク文化については、私も今年初めて知り、今現在勉強中なのですが、
北海道は本州と異なる文化で時が進んでいたようです。
本州が弥生文化を迎える頃、北海道では「続縄文文化」として縄目文様の土器を使い、
狩猟・採集、竪穴式住居で生活する文化が続きます。
その後、奈良時代頃に縄目文様から、刷毛などでこすったような文様の土器を使う「擦文文化」へと移行しますが、生活様式は然程変わらなかったようです。
そしてこの続縄文文化⇒擦文文化とともに、オホーツク文化が並行してあったようです。
オホーツク文化については研究されているようですが、多数を占める擦文文化に吸収された文化だそうです。
常呂貝塚遺跡を見てきましたが、遺体を仰向けの屈葬(仰臥屈葬)にし、頭に甕をのせていたことにとても驚きました。(なぜ甕を!?)
とても手先の器用な人達だったらしく、装飾品が美しかったです。
住居も工夫された竪穴式住居で、広く、多角形で造られていたようです。住居の最奥には熊の骨を祭っていたそうです。アイヌの文化にも通じるものを感じました。
北海道に住み、教育を受けてきても、北海道の古代史についてはあまり学んできていません。
たまたま郷土の博物館へ行き、知りえたことで、興味の対象となり、今回資料館や博物館めぐりができたのですが、「もうちょっと教育の場に取り入れてくれていてもよかったのでは?」と思うほど、自分が育ってきた北海道の歴史に無知であることがわかりました。
アイヌの人たちの自然に畏敬の念を持って自然と共に生きていた姿に魅かれていましたが、アイヌは初めからアイヌだった訳ではないんだと、遅まきながら気づいたところです。
もっと知りたい!北海道の文化!!
道中の道の駅は全て(少なくとも5つに)立ち寄ってきたという、無計画さで。
しかも、最初の購入物は ホタテのミミの燻製・・・渋;(というか呑む気満々
今回は私の我儘で、オホーツク文化に関係のありそうな遺跡や博物館を訪ねてきました。
オホーツク文化については、私も今年初めて知り、今現在勉強中なのですが、
北海道は本州と異なる文化で時が進んでいたようです。
本州が弥生文化を迎える頃、北海道では「続縄文文化」として縄目文様の土器を使い、
狩猟・採集、竪穴式住居で生活する文化が続きます。
その後、奈良時代頃に縄目文様から、刷毛などでこすったような文様の土器を使う「擦文文化」へと移行しますが、生活様式は然程変わらなかったようです。
そしてこの続縄文文化⇒擦文文化とともに、オホーツク文化が並行してあったようです。
オホーツク文化については研究されているようですが、多数を占める擦文文化に吸収された文化だそうです。
常呂貝塚遺跡を見てきましたが、遺体を仰向けの屈葬(仰臥屈葬)にし、頭に甕をのせていたことにとても驚きました。(なぜ甕を!?)
とても手先の器用な人達だったらしく、装飾品が美しかったです。
住居も工夫された竪穴式住居で、広く、多角形で造られていたようです。住居の最奥には熊の骨を祭っていたそうです。アイヌの文化にも通じるものを感じました。
北海道に住み、教育を受けてきても、北海道の古代史についてはあまり学んできていません。
たまたま郷土の博物館へ行き、知りえたことで、興味の対象となり、今回資料館や博物館めぐりができたのですが、「もうちょっと教育の場に取り入れてくれていてもよかったのでは?」と思うほど、自分が育ってきた北海道の歴史に無知であることがわかりました。
アイヌの人たちの自然に畏敬の念を持って自然と共に生きていた姿に魅かれていましたが、アイヌは初めからアイヌだった訳ではないんだと、遅まきながら気づいたところです。
もっと知りたい!北海道の文化!!
元旦から更新できていないサイトで、もうお恥ずかしくて・・・。
仕事とサイトとを両立できないのだから、「辞めた方が潔い」とも思います。
が、
自分の息抜きができるスペースは確保しておきたいのと、
こんなに細々とのろのろやっている拙サイトでも、
足を運んでくださっている方がいるので、
未練タラタラ、存続している次第です。
あまりにも心苦しいので、「更新しよう!半年を優に越えてしまったけれど」と
昨夜、キリリクを1枚仕上げました。
サイトのページも、何だかとっても乱れていて、ひどいですよね;
(更新時にバグが生じるのです、なぜか)
それも直してから更新したいと思います。
キリリク絵も大変お待たせしていて、申し訳なく、
出来上がって「やっとお届けできる!」と意気揚々とし、
「さ、次はどの色つけだ!?」とスキャナに閉じ込めていた下絵を見ると、
「ん?また同じテーマのイラですか!?」
・・・キリリク絵2バージョンを描いていたことが判明しました。
一応、色をつけていこうと思います。
さらにもう一枚イラがあったと思います。
宿題が山積みですね。
夏が終わる前には更新するぞ(言霊、言霊)
前回のお弁当、「どこが顔?」と不評でガッカリな玖珂です。ぅぅぅぅぅ;
最北の地でも、それなりに夏は来てくれたようで、
半袖の服でも「暑いぞ!」という日が続いています。
7月でもストーブが使っていた年もあるので、ちょっとびっくりです。
暑いのに加えて、『テニポン』なるものをやってみました。
(バドミントンのコートで、ピンポンのルールでプレイするテニスめいたもの)
それなりに汗もかきますし、アキレス腱への危険は拭えませんが、
「運動はイヤ~」という人間(私;)でも楽しめるスポーツです。
ダブルスでやってみて、楽しかったですv
明日から7月ですね。
どこかへ遠出がしたいものです。。。
最北の地でも、それなりに夏は来てくれたようで、
半袖の服でも「暑いぞ!」という日が続いています。
7月でもストーブが使っていた年もあるので、ちょっとびっくりです。
暑いのに加えて、『テニポン』なるものをやってみました。
(バドミントンのコートで、ピンポンのルールでプレイするテニスめいたもの)
それなりに汗もかきますし、アキレス腱への危険は拭えませんが、
「運動はイヤ~」という人間(私;)でも楽しめるスポーツです。
ダブルスでやってみて、楽しかったですv
明日から7月ですね。
どこかへ遠出がしたいものです。。。